理事長
講演活動
2015年3月1日に理事長の寺田が講演を行いました。
埼玉県志木市を拠点に活動する子育て・家族応援サービスステーション≪Petit Pas(プティパ)≫さん主催の【あんしん子育て’サポートプロジェクト2015第7回学習会】で、「こころの病を持つ親と子どもたちへの支援」というテーマでPCGのお話を致しました。
たくさんの方が熱心に話を聴いてくださいました。
PCGの取り組みを知っていただけて嬉しく思います。
主催者の田村さん、プルスアルハさん、親&子どものサポートを考える会の土田さんと。
2015年3月11日(水)13:05 | PCG事業-理事長
講演活動
11月30日に札幌市で開催された、第21回日本精神科看護学術集会専門Ⅱの、
精神科訪問看護シンポジウム「ストレングスモデルに基づいたアセスメントと記録~ストレングスマッピングシートを活用して~」
に、当法人の中嶋康子看護師がシンポジストとして参加しました。
精神科訪問看護は病状の観察や服薬管理などを目的に指示が出されることが多いですが、実際には患者が望む生活や夢の実現に向けた支援を行うことが重要にな ります。しかし、現在使用されている精神科訪問看護計画書や記録用紙は問題点に着目する様式のものがほとんどです。そこで、萱間(2014)が提案したス トレングスマッピングシートを訪問看護師が試用してそのメリット・デメリットを報告し、今後改善が必要な点や活用の可能性についてディスカッションしま す。(第21回日本精神科看護学術集会HPより)
また、理事長の寺田が11月28日に同じく札幌の札幌医科大学で講演を行いました。
「訪問看護ステーションにおける精神障害を抱える親への支援活動」
と題し、PCG事業(精神疾患をもつ親と子のグループ)の話を致しました。
2014年12月7日(日)10:18 | NPO法人多摩在宅支援センター円-PCG事業-理事長
NPO法人多摩在宅支援センター円が10年目を迎えました!
「石の上にも3年」と言いますが、今年度「多摩在宅支援センター円(以下 円)」は10年目を迎えています。
「時の過ぎゆくままに、この身を任せ・・・」とはいかない事業を、10年前に開設してしまいました。当初は看護師3人で何でも行い、毎日午後10時過ぎまで仕事をしていました。
思い起こせば、「障害者自立支援法」が翌年から始まろうとしている2005年6月に「制度にからめ捕られないように、ニーズに合わせて仕事がしたい!」とNPO法人を設立しました。
あの時代、いや今でも、精神障害者の社会的入院者の退院支援が遅々として進まない現状や、社会的無支援者の方に支援が届いていない実情に対し、日頃から不全感を覚えていました。
そして、度重なる制度の改正の中、通所系福祉サービスは徐々に拡充されつつありますが、訪問系サービス(特に医療)が極めて少ない現状が1つの原因であると考えていました。
そこで2005年9月に「医療と福祉をつなげる仕事」として「訪問看護ステーション円(えん)」を八王子市に開設したのです。
開設当初、「私たちは、その人らしい豊かで多様な生活を応援します!」という理念を掲げ、下記のような活動方針を挙げました。
この活動方針は、今でも継続しています。
(1) 地域特性を活かした小規模多機能型事業の実施 ~ 多様なニーズに応える
(2) 多摩地域での精神障害者の在宅支援 ~ 社会的入院者の退院支援
(3) 地域ネットワークへの参加 ~ 医療と福祉を繋ぐ活動
(4) 起業視点での事業展開 ~ 経営戦略の必要性
この理念は開設当初に決めたもので、訪問看護で行き詰まった時、この理念に沿っているかどうか」を、立ち止まって考える際に、改めて「その人らしい生活とは…」と言う言葉が実感できました。
今で言う「リカバリー」が理念となっていることに気がついたのは、2、3年後でした。
開設パーティーにいらしてくださった行政の係長から委託事業の話があり「居宅生活安定化自立支援事業」を怖いもの知らずで受託し、すぐに多職種チームが出来ていったことも、つい最近のような気がします。
「医療」と「福祉」が共存することで多様なニーズに応えられ、包括的なアウトリーチ支援が始まりました。
初年度から戦略的にエリアを広げ、2年目には立川市に「訪問看護ステーション元」を開設し、精神科訪問看護を得意とするステーションとして地域にも浸透されつつあり、近隣の依頼が増え、地域的・効率的・経営的にも比較的早く安定してきました。毎年合宿を行い、中長期計画を立て所長・副所長にプレゼンを行なってもらい新規事業を行ってきたことや、風通しの良い事業所つくりの為、外部からの実習や訪問同行、ヒアリング、研究協力などの受け入れも、職員のモチベーションを上げることになっていったと思います。
その後、10年目を迎え、地域のニーズに応えていくうちに今日では、医療・福祉事業が10事業に増え、職員も70名を超えていきました。
いくつもの小さな山を越えた現在、大きな山を越えようとする時期に来ていると思います。
精神科訪問看護の依頼者の増加、広範囲からのニーズに応えること、NPOの規模の限界(株式会社の導入)等々、課題を抱えながら2012年2月に「株式会社 円グループ」を立ち上げました。
3つ目の訪問看護ステーション卵(らん)は(株)円グループの傘下に入ることにしました。更に、この10月1 日には、NPO法人の訪問看護ステーション円を廃止し、新たに(株)円グループの傘下に入ることで「訪問看護ステーション円」が生まれ変わります。しかしながら、今までの理念は変わらず訪問看護を行っていきます。
大きな山を越えるためには、今後私たちの理念に沿った事業を継続させ「利用者中心の事業」を展開させていかなければなりません。10年目を区切りとするならば世代交代を考えながら、障害があってもなくてもリカバリー出来る世の中になってほしいものです。
大きな山は、独りでは越えられません。地道に、利用者のニーズに応えながらあきらめず、ゆっくりと歩いていきたいものです。
(「enen通信 no.12」掲載分 より)
2014年10月1日(水)15:12 | 理事長
「STOP!精神科病棟転換型居住生活系施設」緊急集会に参加して
6月26日炎天下の中、職員14名と共に、日比谷野外音楽堂で上記の緊急集会に参加してきました。
現在、厚労省に設置されている「検討会」で「精神病院の居住施設に転換する「病棟転換型居住生活系施設」構想が議論されています。
熱い日差しの中、3200人の方が集まりました。特に当事者、家族の方からの熱いメッセージを聞きながら、日本の精神医療は、そう簡単に変わらないことを実感しました。
2014年7月1日(火)10:50 | 理事長
【贈る言葉】 6月7日 中野るみ子さんお別れ会
当日、寺田の参加された皆様への挨拶を紹介します。
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皆様、今日は中野るみ子さんのお別れ会に、ご参加してくださりありがとうございます。
お通夜の時も雨が降っていましたよね。皆、雨に濡れながら立ち去ることができませんでした。どこかで、区切りをつけたい、中野さんの気持ちを受け止めたい、気持ちの良いさよならを言いたいと思い今日のお別れ会を開催しました。
中野は、いつだって笑顔で手を振りながら、ここにいると思います。
今日は、楽しく笑顔で語り合いましょう。
中野さんとの出会いは、2000年(H12年)に棕櫚亭に就職し、翌年生活支援センターなびぃで、一緒に働きました。それからですよね。棕櫚亭でも、初めて箱モノ施設ではないセンターを作り、そこでいろいろなことをやりました。イベントも。なかでも、中野さんからの提案で「ホーキング青山」お笑いで車いすの方、おむつもしていて、ピアスの2階でみんなで担ぎ上げて・・・・。
夜中に、亜昏迷状態になった方を一緒に一晩中見ていたり、・・・福祉の限界を感じていました。そして2005年(平成17年)に一緒に、棕櫚亭を退職し、彼女は グループホームの必要性を強く感じ、平成18年7月に櫻の杜ハウスを「シュロの会」の方たちと開設し、私は精神科病院と地域をつなげたいという思いで、訪問看護ステーションを開設しました。お別れ会では退職した時の映像も流れます。そのとき、単体のGHでは、経済的にも大変なので、訪問看護の方がうまく一緒にやろうという約束をしました。平成18年10月から非常勤で居宅生活安定化自立支援事業に関わりました。思ったよりも早く訪問看護の方が経営的に上手くいったので平成19年に櫻の杜ハウスを合併し、また一緒に仕事ができるようになりました。
その一方、八王子市の生活福祉課の事業(居宅生活安定化自立支援事業)では、PSWとしての本領を発揮していただきました。未治療の方、医療中断の方、多問題家族の子供たちに出会いました。その方たちをあきらめず、丁寧に、関わっていきました。
その中で、PCG事業も生まれました。この事業のマネジメントを引き受けてくれたのが中野さんです。
また、八王子市の生活福祉課のおじさんたちを手玉に取り、いいえ掌で転がしながら利用者中心の支援者に取り込んでいました。いつのまにか、八王子市の頼りになるお姉さんのような存在になっていました。また、そのころのGHは、日中通所場所がなければ、ごみが捨てられなければ入れてくれない所が多かったのです。そんな中で、中野からの提案で、居宅事業で関わった比較的重い精神疾患の方のためのGH(くぬぎの杜)をH21年に開設しました。
開設してから、数ヶ月後に発病していることがわかりました。
その時、彼女は「寺田さん、あと5年一緒に付き合って下さいね。」といったことを覚えています。
それから5年、治療を続けながら、仕事が大好きな中野さんは、いつだって前向きで、病気になっても悔しいほど「華」がある方を見たことがありません。
3人だった職員は70名近くになり、医療と福祉が地域の中で一緒に活動していけるようになったことは、中野さんの存在があってのことでした。
多摩在宅支援センター円の理事長としても個人的には身内のような存在だった中野さんに「ありがとう!」といいたいと思います。
そして、多摩在宅支援センター円として、その功績をたたえたいと思います。
2014年6月14日(土)10:30 | 理事長